
人生、努力ではどうにもならない事はありますよね。私にとっての流産は、まさにどうしていいのかわからない迷路のような場所で先の光が見えずにただ暗闇を歩いてるようでした。
流産が2度続いた事で、パソコンを泣きながら検索しました。
どうやら私は「不育症」かもしれない。
そう思うようになりました。
今はもう不育症という言葉が浸透してきたような気がしますが、
当時は「不育症」という単語すらはじめて聞く言葉。
どこの病院に行ったら診てくれるのか何もわかりませんでした。
今から15年ほど前の話ですから、スマホも持っていなかったし
パソコンで検索して同じ不育症の人と繋がる事で
情報を得ていた状態です。
有難い事にそこで知り合った先輩ママさんが会える距離に住んでおられて
会って病院紹介していただく事が出来て
私はやっと光が見えました。
だけどその間、普通に周りのみんなは二人目がどんどん出来て出産していくし、
本当に距離を置きたかった。
だけど、長男の事もあるし友達と遊ぶ機会を奪うわけにいかないから
友人の二人目の出産のお祝いとかおめでたい事が多い時期だったし
お祝い会の帰りの車で運転しながら涙が止まらなくなる事とか頻繁だった。
今なら無理しないし行かない選択肢を取れる。
自分の心の平穏を大事にすることも出来るし
自分の心を相手に伝える事も出来る。
でもあの頃は出来なかった。
自分が我慢する事で周りに気を使わせないと思ってたから・・・。
生きにくい自分をまだまだ理解出来ていない頃でした。
長男を無事に出産していたので、
検査をしても特別な理由が出てきませんでした。
その間、また2度の流産を経験し、
私の流産歴は2年間で4度になっていました。
この2年というのは、私にとって本当に暗い暗い迷路の中を漂っているような
毎日で、かわいい時期の長男には母の情けない姿ばかり見せてた気がします。
長男には、申し訳なかったと思う事ばかりだけど、
そんな時でも私を笑顔にさせてくれていたのは長男の存在でしたね。

↑はじめて長男が母の日に幼稚園で描いてくれた私の似顔絵♪
さて、治療の話に戻りますが
私は少々変わった治療法を行う予定でした。
私の通っていた病院では4度の流産経験者からじゃないと
やらない治療法だった様で(今考えるとなんだそれ!)
4度目の流産の後はその治療がはじまるので
割と前向きでした。
また機会があればこの不思議な治療について書きたいと思います。
(今は行われていない様ですが・・・)
無事に5度目の妊娠をして、治療も開始。
毎日不安に思いつつもお腹の子は元気に成長してくれました。
当時私は不育症ブログを書いていたのですが、
そこで知り合った方とランチする仲に♪
そのお友達も4度の流産経験者で
一緒にお腹の子が成長していく感じがとても心強かったです。
そして、まさかの同じ日に出産をしたのでした!
嘘みたいな本当の話!
改めて私はネットを通じて友達が出来て
その友達に救われて来たんだなぁと思うのであります。
色々辛い時期を過ごしてきた我が家でしたが
待ちに待った次男が誕生しました。
元気な男の子、本当に嬉しかったです。
長男と違ってちょっとの音で起きたり泣いたり
睡眠時間は短いし、人見知りはすごいし、
とにかく手のかかる子!
だけどめちゃくちゃかわいい!
それが次男。
マイペースな長男でしたが、すごく次男の事をかわいがり
今は高校生と中学生という年齢差だけど
仲良しです。多分長男がやさしいからなんだろうけどね。
唯一の私の自慢だな、子供たちが仲良しな事。ふふふ。

写真探しましたが、後ろ姿で写ってる二人が随分大きくなってからじゃないとなかった!いつも正面の写真ばかりだもんね。実はね、ここは宮古島なんですが、次男を妊娠する前にも来てるんですよ!