





ちょっと偏見になってしまうかもしれないけれど、私が聞いていていつも首をかしげてしまう人の話をしたいと思います。
目次
自分の性格を、愛情深いと思う事はとてもいい事だと思う。
慈愛があり、他人にも優しいと自己判断出来るという事は、素晴らしい事だ。
しかし、自らそう話す人と出会うと、私はいつも「うっ」となってしまう。
他人に対して自らを愛情深いと言える人は、たいして仲良くなっていない時期に
愛情をアピールしてくる。
そんな時、私はどう返せばいいのか?
いつもわからなくて変な顔をしてしまう。
変な顔ですんでいればいいのだが、私はきっと引きつった気持ちの悪い笑みを浮かべ、うすら笑いをしているのであろう。考えると恐ろしい。
自らを愛情深いと言う人は、共感能力が低い自己愛の強い人なんだろうな、と思う事にしている。
「愛情深い人です」と言われたほうの気持ちなんてお構いなしで、自らのアピールをしてくるわけだ。
その場の空気がどうなるかも想像もせずに、自分が言ったことで気持ちよくなっているだけなのだから共感能力なんて皆無な人なのであろう。
他人に対して愛情があったら、その場が凍るような発言は避けるべきなのだから。
なぜか愛情深い人はプレゼントが好きだ。
私は割と早い段階でモノを増やす事が嫌いだと相手に話している。
しかし愛情深い人はやたらいらないプレゼントをくれる。
ワタシ、アイジョウがアルカラ、モノをアゲル、ワタシイイヒト!
とでも思っているのだろうか?
私は最初からモノなどいらないと言っているのだからくれるなら、食べ物でもくれればいいものを
わざわざ趣味も違ういらないモノをくれる。いや、押し付けてくる。
これはもう愛情ではない。いやがらせなのだ。
私は用がないのに電話してくる人があまり好きではない。
しかし愛情深い人は電話が好きだ。
LINEで済む事をなぜわざわざ電話してくるんだろう。と私は思う。
そして電話しない私を冷たいと罵るのだ。
知ったこっちゃない。
用事があれば、相手が望むなら電話してもいいが・・・。
愛情深い人の共通点、お金に無頓着。
いらないプレセントを買うくらいなので、自分にもどんどんお金を使う。
自分が心地が良くなる事にとことんお金を使う。
着もしない服にんーー万使ったり、初任給全額つっこんで鞄を買ったり、
意味がわからない。でも買い物が好きでその生活が心地よく、反省する事はない。
そしていつも幸せそうに生きている。
自分の心地よいをよく知っていて、自分の心地よいの為には努力をしている。
結局、自分をきちんと大事にしている。
私にはない部分なので、ある意味羨ましい所もある。
そういう人はきっと100歳以上生きるだろう。
色々書いたが、このタイプは義理の母の事だ、義理母と出会ってから一定数こういう人がいる事がわかり見分けられるようになってきた。共通点が多いのだ。占いも信じていたりする。
そういう人に会った時は共感能力の低い自己愛の強い人だと観察すると良い。なかなか楽しい時間になる。おすすめだ。
